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「鎌倉ものがたり」を歩く No.20 鬼押し出し

No18〜20で一巻9話「団体旅行」の舞台、伊香保温泉、榛名神社、鬼押し出しを紹介します。
鬼押し出しは天明3年(1783年)の浅間山の大噴火したときにできた。天明3年の旧暦4月8日から始まった浅間山の噴火は7月8日午前の噴火で鎌原村(群馬県嬬恋村鎌原)を飲み込み、午後の噴火で鬼押出の奇景を形作っておさまった。黒い溶岩の中に赤い建物、あたりには独特の雰囲気がある。「鬼押し出し」の名の由来は第9話でどうぞ。
鎌原では村の93戸全部が瞬時に飲み込まれ570人の村民のうち477名が死亡したという。日本のポンペイ(松永和也さんのHP)といわれる。鬼押し出しの近くにこの火砕流の被害を間一髪で免れた鎌原観音堂がある。もともと50段あった階段が15段のこっている。調査によるとその下からおりかさなった二体の遺体が発見された。今回は強行軍で時間がなかったので行けなかったが次回はぜひ訪れたい。 江戸時代の狂歌師、大田蜀山人が次のような話を伝えている。

噴火から33年後、井戸を掘ろうとした農夫が家の瓦につきあったった。その家の中から人が2人出てきて自分たちは噴火で生き埋めになったが倉の酒と米を食って生き延びてきたと語ったという。
興味のある方は「嬬恋・日本のポンペイ」東京新聞出版社(1996)が参考になる。

入り口 風景1 風景2
入り口の建物には鬼押し出し園の文字が見える。
溶岩風景1
溶岩風景2
寺 鐘 避難所
観音堂(鎌原観音堂ではありません。)
鐘は案外小さくこもった音がした。 道の途中の避難所は浅間山が活火山であることを思い出さされる。
大田蜀山人碑
鬼押出の大田蜀山人の碑